明治、大正に柳原白蓮、九条武子の句、与謝野晶子が別府の湯けむりを詠んだ素敵な句があります。 
 
 
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1000年前に別府の観海寺を舞台に熱い思いの恋物語が古今和歌集に歌われてきました。


藤原定家と内親王の淡い恋の物語が別府観海寺で詠まれました。



明治大正の歌人 柳原白蓮 (あきこ)宮崎竜介、伊藤仁左衛門との愛の物語









明治大正の歌人 九条武子



明治、大正に柳原白蓮と実業家伊藤伝右衛門、駆け落ちした宮崎竜介、九条武子、油谷亀八が赤胴御殿に集い、
後年、別府市民ミュージカルとなり、市民が脚本、演出を手がけ何回も上演されている。



大正時代の三大美人 川島道子、柳原白蓮、九条武子、林きむ子



林きむ子大正三大美人とうたわれた


与謝野鉄幹、与謝野晶子も 別府の湯けむりの中の湯治宿に滞在し 素敵な句を読んでいます。






明治、大正の美人絵画家、竹久夢二と彦乃、晩年別府の地に療養のため逗留していた。


竹久夢二の装丁で歌集「踏絵」を白蓮の名で発刊し、情熱的な恋の歌が話題となった。

誰か似る 鳴けようたへと あやさるる 緋房(ひぶさ)の籠(かご)の 美しき鳥  
 
月影は わが手の上と 教へられ さびしきことの すずろ極まる

ゆくにあらず 帰るにあらず 居るにあらで 生けるかこの身 死せるかこの身  

待つ人の あるが嬉しさ 山越えて 君にと急ぐ たそがれの道

観世音寺 みあかし暗う 唯一人 普門品(ふもんぼん)よむ 声にぬかずく

年経ては 吾も名もなき 墓とならむ 筑紫のはての 松の木かげに
 
竹久夢二 踏絵より






「花子とアン」仲間由紀恵が演じる葉山蓮子のモデル柳原白蓮

花子は、同級生、柳原白蓮の紹介で佐佐木信綱から万葉集など日本の古典文学を学ぶ
村岡花子に文学の道を拓いたのも白蓮であった。


佐佐木信綱の{夏は来ぬ}はあまりにも有名である。

卯(う)の花の、匂う垣根に
時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ

さみだれの、そそぐ山田に
早乙女(さおとめ)が、裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる、夏は来ぬ

橘(たちばな)の、薫るのきばの
窓近く、蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる、夏は来ぬ




柳原白蓮が10年間居住した福岡と別府、このストリーは別府の市民ミューカルになったいる。


柳原Y子の「公開絶縁状」  九州の炭鉱王と言われた伊藤仁左衛門に宛てた手紙

私は今あなたの妻として最後の手紙を差しあげます。
今私がこの手紙を差しあげるということはあなたにとって突然であるかもしれませんが、
私としては当然の結果に外ならないのでございます。
あなたと私との結婚当初から今日までを回顧して、私は今最善の理性と勇気との命ずるところに従ってこの道を執るに至ったのでございます。

 ご承知のとおり結婚当初からあなたと私との間には全く愛と理解とを欠いていました。
この因習的な結婚に私が屈従したのは私の周囲の結婚に対する無理解と、
そして私の弱小の結果でございました。
しかし、私は愚かにもこの結婚を有意義ならしめ、でき得る限り愛と力とをこの内に見出していきたいと期待し、かつ、努力しようと決心しました。

 私が儚(はかな)い期待を抱いて東京から九州へ参りましてから今はもう十年になりますが、
その間の私の生活は唯やる瀬ない涙を以って掩(おお)われまして、私の期待はすべて裏切られ、私の努力はすべて水泡に帰しました。
あなたの家庭は私の全く予期しない複雑なものでありました。
私はここにくどくどしくは申しませんが、
あなたに仕えている多くの女性の中には、あなたとの間に単なる主従関係のみが存在するとは思えないものもありました。
あなたの家庭で主婦の実権を全く他の女性に奪われていたこともありました。
それもあなたの御意志であったことは勿論です。
私はこの意外な家庭の空気に驚いたものです。
こういう状態においてあなたも私との間に真の愛や理解のありよう筈がありません。
私がこれらの事につきしばしば漏らした不平や反抗に対して、
あなたはあるいは離別するとか里方に預けるとか申されました。
実に冷酷な態度を執られた事をお忘れにはなりますまい。
また、かなり複雑な家庭が生むさまざまなできごとに対しても常にあなたの愛はなく、
従って妻としての価(値)を認められない、私がどんなに頼り少なく寂しい日を送ったかはよもやご承知ない筈はないと存じます。

 私は折々わが身の不幸を儚んで死を考えた事もありました。
しかし私はでき得る限り苦悩と憂愁とを抑えて今日まで参りました。
その不遇なる運命を慰めるものはただ歌と詩とのみでありました。
愛なき結婚が生んだ不遇とこの不遇から受けた痛手のために、私の生涯は所詮暗い暮らしのうちに終わるものとあきらめたこともありました。
しかし幸いにして私にはひとりの愛する人が与えられ、
そして私はその愛によって今復活しようとしておるのであります。
このままにしておいてはあなたに対して罪ならぬ罪を犯すことになることを怖れます。
最早今日は私の良心の命じるままに不自然なる既往の生活を根本的に改造すべき時機に臨みました。即ち、虚偽を去り真実につく時が参りました。

 この手紙により私は金力を以って女性の人格的尊厳を無視するあなたに永久の決別を告げます。
私は私の個性の自由と尊貴を守り、かつ、培(つちか)うためにあなたの許を離れます。
長い間私を養育下さった御配慮に対しては厚く御礼を申しあげます。



 貧困から石炭王になった、伊藤伝右衛門もさすが大きな男であった。
伊藤伝右衛門は、Y子の望みをすべて叶えようと、屋敷の庭が見渡せる居間には毎朝遠くから焼き
たてのパンを届けさせ、ユートピアの如く住まいを準備して一人の女性として破格の条件を以てして迎えても逃げ出したY子には優しかった。
当時の法律で当たり前であった姦通罪からY子を守るように訴えたのだ。
 


宮崎龍介が別府の別邸に訪ねてきた。
隆介は、中国で辛亥(しんがい)革命を起こした孫文を支援した福岡県荒尾出身の革命家・宮崎滔天(とうてん)の長男で、東大新人会の編集部に属し、社会運動を行っていた。肺病を患い、留年2回、28歳で今年大学を卒業予定の、Y子より6歳年下の学生だった。
手紙のやり取りを重ね、何回か会ううちに二人は愛しあうようになり、Y子はこの人こそ、毎日寂しくて泣くばかりの自分を、泥沼から救い出してくれる人と信じるようになった。


わたつ海の 沖に火もゆる 火の国に 我あり誰そや 思はれ人は

わがために 泣きます人の 世にあらば 死なむと思ふ 今の今いま

今はただ まことに人を 恋ひそめぬ 甲斐なく立ちし 名の辛さより

吾は知る 強き百千の 恋ゆゑに 百千の敵は 嬉しきものと

天の地の 一大事なり わが胸の 秘密の扉 誰か開きね

君故に 死もおそるまじ かくいふは 魔性の人か 神の言葉か


燃えるような恋情の思いを詠んだ句は大正時代の女性の心を捉え離さなかった。






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このホームページは(大好きな別府を勝手に支援する会)の七菜海が趣味で作成したものです。