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松崎町雲見に伝わる民話と昔話、雲見観光協会の雲見の名所巡り



雲見の絶景スポット「千貫門」。
見る価値が千貫文に値するということから名付けられました。

雲見の千貫門の景観


雲見の港の夕焼け西伊豆雲見温泉に伝わる鎮守の森、部落の守り神 




























   太平洋戦争後期、多くの中国人が日本に強制連行された。
飛行機の材料不足に悩んだ軍部は、
その飛行機製造に使うアルミニウムの素材であるボーキサイトを探していた。
ボーキサイトに代わる鉱物としてミョウバンが注目され、
西伊豆の仁科鉱山は産地だった。
当初は宇久須鉱山で採掘されていたが、
1942(昭和17)年ごろに南方戦線の敗北で
ボーキサイトの輸入が困難となり、
採掘は仁科鉱山に拡大された。
     
軍部は1943年仁科村(現西伊豆町)
白川の集落上流の赤沢橋の近くに
戦線鉱業株式会社の事務所を設置し、
下流には徴用労働者たちのバラックが建てられた。
当初は2200人ほどの朝鮮人が徴用され、
日本人6千人が関わって採鉱していたが作業員が足りず、
翌年12月に河北省の中国人200人余りが集められ、
船で下関に運ばれた。20人が船中で死亡し、
仁科鉱山には178人が到着したという。
 
中国人が採鉱場の表土はぎ作業を、
朝鮮人が露天掘りを行った。
物資不足の折、くわやつるはしで作業を行い、
中国人連行者たちの多くは栄養失調により次々に亡くなった。
彼らは歩行もままならない状態で、
長時間の労働は過酷以外の何ものでもなく、
その死亡率は52%に及んだ。
 
当然のことながら脱走を試みる者もあり、
ぼろぼろの服装をまとった中国人が食べ物を探しに
里へ下りたという証言が残されている。
捕らえられた者は惨殺されたという。
 
戦争末期に国は宇久須鉱山を住友鉱業に、
仁科鉱山を古河鉱業に強制的に経営させて
国策を推進するも敗戦を迎えたのであった。
 
白川集落の住民は1954年4月に現地の遺骨を発掘、
手厚く火葬した。集められた遺骨は箱に納められ本国へ送還された。
西伊豆町は慰霊碑建立実行委員会を設置し、
1976(同51)年7月、殉難者を慰霊し、
二度と戦争の惨禍が起きぬよう碑を建てた。
仁科川下流にある法雲寺にも慰霊碑が同じように建てられている。


西伊豆大沢の中国人殉教の慰霊碑の謂れ

中国人、朝鮮人の慰霊碑 1976年7月に建立



慰霊碑の地図
















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